異動とは、会社が回すガチャである。
こちらの意思は一切反映されない。課金もできないし、リセマラもない。ある日突然「はい、次ここね」と言われ、気づけば知らない島に放り込まれている。しかもチュートリアルはない。優しさもない。
私はそのガチャを、わりと素直に信じていた側の人間だった。「まあ会社が決めるんだから、きっと意味があるのだろう」と。今思えば、あれは信仰に近い。根拠はなかった。
最初に引いたのは、“人との距離がやたら近い部署”だった。
これが、なかなかに濃い。距離が近いというのは、物理的な話ではなく、精神の話である。顔を合わせるたびに関係が積み上がり、逃げ場がなくなる。こちらのコンディションなど関係なく、相手はいつも「知っている前提」で話してくる。知らんがな、と思うが、知らん顔はできない。
一番しんどいのは仕事そのものではなく、**“ずっと同じ温度で人と向き合い続けること”**だった。
人間、そんなに安定していない。今日は元気でも明日はだるいし、昨日は優しくできても今日は無理な日もある。それでも関係は続いていく。「あれ、今日ちょっと冷たくない?」みたいな空気を、毎日ほんのり背負いながら生きるのは、なかなか骨が折れる。
向いていない、と気づいたのはわりと早かった。ただ、気づいたところでどうにもならないのが異動ガチャである。ハズレを引いたからといって、もう一回回させてくれるわけではない。
そのうち私は、「これは経験だ」と言い聞かせるようになった。便利な言葉である。“経験”。だいたいの苦しみはこれで正当化できる。便利すぎて、たまに人を壊す。
で、どうなったかというと、ちゃんと少し壊れた。
別に劇的な話ではない。ただ、毎日ちょっとずつ削れる。帰り道に無言の時間が増え、日曜の夜に胃が重くなる。そういう、よくある壊れ方をした。
その後、ガチャはもう一度回された。
今度は、“保険っぽいことを扱う部署”に戻された。いわば見慣れたフィールドである。正直、ほっとした。人は、知っている地形に戻ると安心する生き物らしい。
ただし、ここで物語が終わらないのが異動という制度の妙である。
「じゃあ次、こっちもやってみようか」
そう言われて渡されたのが、“お金そのものを扱う仕事”だった。
急にスケールが変わる。人との距離ではなく、数字と責任が前に出てくる。今まで「感じていた」ものが、「判断しなければならない」ものに変わる。しかもそれはだいたい、後戻りが効かない。
知識がない。経験もない。なのに判断には関わる。
なるほど、これはこれで別の種類の地獄である。
ここでようやく分かったことがある。異動で一番しんどいのは、新しい仕事でも、新しい環境でもない。
**“自分の中にあったはずの手応えが、一度リセットされること”**だ。
昨日までできていたことが、今日できない。通用していたやり方が、急に意味を失う。そのとき人は、「自分はこんなに何もできなかったのか」と静かに落ち込む。
だがまあ、人生はだいたいそんなものらしい。
向き不向きは、やってみないと分からないし、分かったところでどうにもならないことも多い。適材適所なんて言葉はあるけれど、あれはだいたい、後からうまくいった場所に貼られるラベルである。
じゃあどうすればいいのかと言われると、あまり大したことは言えない。
強いて言うなら、壊れきる前に「これは違う」と思っていい、くらいだろうか。
逃げる、というと聞こえが悪いが、実際のところそれは「配置を変える」というだけの話である。会社がそれをやっているのだから、こちらが自分に対してやってもいいはずだ。
異動ガチャはこれからも回り続ける。たぶん止まらない。止め方もよく分からない。
だからせめて、自分の残機くらいは自分で管理しておこうと思う。
全部なくなってからでは、コンティニューもできないのである。